不完全を受け容れる【10】

 

自分の花を咲かせる会

「人生再生の集いDay2

 

【不完全を受け容れる】

 

いろいろな面で

人間関係や生き方が楽になる考え方として

不完全を受け容れる

というのがあります。

 

自分の不完全を受け容れる。

 

周りの人の不完全を受け容れる。

 

社会の不完全を受け容れる。

 

まあ、

メンタルの病気からの回復のプロセスには

なんか聖人君子にでも

向っていくのか????

なんて疑問も感じないではありませんし、

そんなの無理じゃろ???

って思ってしまったりも

いたしますが、

いろんなものを手放すのは

実は随分と楽な生き方を

マスターするコツでもあると思います。

 

完全な人などいないし、

完全なものなどないことは

ちょっと考えればわかることだとは

思います。

 

それでもある意味、

人間は完全を目指して

努力する部分はあったりしますが、

 

ちょっと思うに、

不完全には

進化や成長が内在することが可能ですが、

完全には

進化や成長が内在できないという点において

不完全の方が完全じゃないかと

思ったりいたします。

 

完全こそ不完全。

 

不完全こそ完全。

 

この逆説、

知っておいていただければ

いろんなものの見方ができる

きっかけになるかもしれませんよ。

 

社会だって不完全。

 

いろんなダメなところがある。

 

それが当たりまえなんですよ。

 

しかしそれでも先人たちが

命をかけて戦ったり

知恵を絞って考えたりして

少しでも良い世の中を

創ってきたのですよね。

 

おそらくは制度は

良かれと思って改善をしていくうちに

利害のからみもあり

どんどん劣化していく面も

あるのでしょう。

 

人々の心も

さまざまな利害の戦いの中で

荒れたり弱ったりもするのだろうと

思います。

 

為政者や経営者などの

リーダーにもなかなか

聖人君子はあらわれません。

 

またとても素晴らしい方でも

反対勢力があったりして

改革は一筋縄にはいかない。

 

強権を振るえば

改革はできるのでしょうが、

その改革が本当に良いものなのか

ちょっとした怖さも感じます。

 

利害が錯綜する中で

また正義と正義のぶつかり合いの中で

人々の心が廃れていくことは

ある意味当然かもしれません。

 

人々も完全ではない。

 

皆が自分の信念に従って

自分の正しさのために闘っているのかも

しれませんね。

 

悪と言い切るのは難しいようにも

思います。

 

世界は不完全。

 

また、不完全な社会で働く人々が

ストレスを抱え、時に

暴言を吐いてしまうことだって

これは普通にあり得ることですよね。

 

私の知り合いの社長は

大きな取引先との付き合いでは

煮え湯を飲まされるような思いも

してきたと語っておられました。

 

家族や従業員のために

そんなことにも耐えて生きている。

 

そんな人々の実際があるわけです。

 

人に当たってしまうこと

ありますよ。

 

それであとで後悔したり

反省していたりもする。

 

更年期障害気味の女性は

イライラを抑えられなくて、

旦那に当たってしまったり、

ときには子供に辛く当たってしまったり。

 

しかしこれは身体からくるものが

大きいから、

また女性だからお月様の影響でも

ありますから、

 

努力すれば多少は

自分で気を付けることも

可能なのかもしれませんが

星に逆らうのは難しい面も

ありますよね。

 

そしてそんなお父様やお母様に

育てられた人たちもまた

遺伝的にも心理的にも

ちょっと不安定であったりすることは

止むを得ない面もあるにはある。

 

でもそれが

普通じゃあないでしょうか。

 

人間も不完全。

 

そんな世界や人に

腹を立ててしまう自分だって

あるいはまた

そんな世界や人を良くする力のない自分だって

これまた不完全。

 

頑張れない自分。

 

仕事を続けられない自分。

 

病気で社会の役に立てない自分。

 

昔の友達はすくすくと育ち、

立派な社会人になっているのに、

家で引きこもっている自分。

 

昔仲良くしていた友達は

ステキな男性と結婚し

可愛い子供もいるのに

自分はデートのひとつもしない。

 

比べると悲しいことも

ありますね。

 

本当にたくさんの不完全があると

思います。

 

それでいいんじゃあないでしょうか。

 

それで普通じゃあないでしょうか。

 

不完全な自分を許し、

不完全な人間を許し、

不完全な世界を許す。

 

もちろん不完全な親や友達も。

 

不完全な上司や先生も。

 

許す。

 

そして

そこを出発点にして

新たな人生を描いてみると

いままでとちょっと違った人生を

描けるかもしれませんよ。

 

不満や怒りから出発する思考ではなく

不満や怒りから出発する行動ではなく

まっさらなキャンバスに絵を描く感じで

人生を描いてみる。

 

いや、

あったことをなかったことに

するわけではなくてね。

 

あったことは確かにあったのですが、

そのマイナスはもらわないで

あるいはこれ以上ひきずらないで

プラスだけ受け取る。

 

マイナスにはそれに見合うだけの

プラスが必ずあるそうですよ。

 

まあしかし、

非常に苦しい経験があった方には

難しい面もあるかもしれません。

 

ひどい虐待等、

相手の非があまりにも大きい場合、

許すことの難しさはありますよね。

 

そういう方はゆっくりとした

癒しのプロセス、

ゆっくりとした許しのプロセスが

いるのでしょう。

 

このプログラムは

いろいろなメンタルヘルスの課題の方

向けのもので、

当てはまらない部分も

あるかとは思いますが、

傷の深い方にも

気軽な感じでお付き合いいただければと

思います。

 

あ、このように考えるのが

難しくてもOKです。

 

憎しみがあってもOKです。

 

許すのが難しくてもOKです。

 

そんな不完全な自分も

受け容れてくださいね。

 

まあ、このコミュニティを

いろんな人のいろんな思いに

互いにOKを出せる場に

していけたらなあと思っています。

 

もちろんいつもそれが

上手くいかなくたって

OKというように

考えましょ!

 

そんなときもあるさ。

 

で、後日談。

 

この記事をブログに書き

Twitterでリンク貼ったとき、

「いいね」が少なかったんです。

 

親の責任を認めた前回記事に対し

今回記事は許す記事。

 

許しに関しては人気がなかったんですね。

 

まあ分かってないと感じたのかも

しれません。

 

しかし許さなければ幸せになれないとも

マーフィーは言っておりますのでね。

 

こういう点も大切ではあるんだな

頭の片隅に置いておいていただけたらなあ

 

と思います。